三十手前に詠むエピタフ


moonriders - DON'T TRUST ANYONE OVER 30

昨日の夜 ちょっとしたバーで
彼女に言った
ぼくはいなくなるよ
そして冬は 瞳に流れた
「DON'T TRUST ANYONE OVER 30」

十代の頃、テレビで大家族の番組を見ていた。その家族の中に非行気味の高校生の男の子がいて、父親に「おまえは将来どうするんだ」と聞かれ「おれは二十歳までに死ぬからいいんだ」と答えていた。そのシーンがとても印象に残っていて時々思い出すことがある。

十代でデビューした尾崎豊。彼が20歳になったとき、これから何を歌えばいいのか悩んでいたという。そんな中、ある素晴らしいメロディーが頭の中に降りてきた。録音も済み、残すは歌詞と歌入れのみという状況に。締切ギリギリになってスタジオに帰ってきた尾崎はちゃんと新しい歌詞を持ってきた。そうして完成した曲が「FORGET-ME-NOT」だった。尾崎は26歳で亡くなった。「自分は三十代まで生きられないと思う」と周囲の人に漏らしていたという。

T.REXマーク・ボランの伝説にこんなものがある。彼は若い頃に魔術師にこう言われたそうだ。「あなたは若くして大成功を収めるが、三十歳までに血まみれになって死ぬだろう」そしてその通りになった。彼は三十歳の誕生日を迎える二週間前に自動車事故で亡くなってしまった。

「人の本当の仕事は三十歳になってから始まる」
  ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ

自分が三十歳になった姿を想像してみる。想像つかない。来週さえも!だから誰かと約束をすることにとても億劫になってしまう。しかしそれは卑怯だと思う。頭の中で考えているとき、やっぱりここに誰かいてほしいと思う。僕はいつの間にか無口な寂しがり屋になってしまったのではないか。

若い頃は死に憧れる人も多いだろう。そうすることで特別な存在になれると思うのかもしれない。冗談半分、半分本気で遺書を書いてみたりして。忘れた頃に引き出しから見つけて恥ずかしくなったり。それならイニシエーション。だがほんの一握りの、神に選ばれたような人たちにチラつく死にはゾッとしてしまう。彼らは輝かしい光を見ているのだが、彼らの後ろには恐ろしいほど深い暗闇が見える。

いつかは誰しも死ぬけれど、それが人間同士の生き物同士の大事な共通点であるようにいつからか思うようになった。そういうものだ。おじいさんもそう言うだろう。

人間は区切りたがり。節目というものが大事らしい。人にも時代にも年齢がある。その数字の中からラッキーを見つけたいのだろう。きっかけはきっかけに過ぎないが、きっかけがないことには始まらないことが多くある。それなら都合良く生きた方がいいかも。自分に悩むくらいなら友達がいなくなる覚悟で…

夭折した芸術家たちから聞こえてくる音楽はブルースかなと思う(それか讃美歌!)見えてくる景色は都会ではなく田舎。そこに佇む影のような寂しさ。学生時代に背伸びして読んだリルケの詩に「大都会は真実ではない」とあったのを思い出す。真実を求め続けるには力が要る。うまい具合に力を抜ける人の方が長生きしてる気がする。幸か不幸か。空気がある。言葉がある。僕らには。

ほらkeeps memories


The Rolling Stones - Fool To Cry - OFFICIAL PROMO

「ああ、あんた、
あんた馬鹿よ。泣くなんて。
馬鹿者だけよ、泣くのは。
なんで泣くの、不思議だわ」
http://neverendingmusic.blog.jp/archives/9078636.html

 雨が降ると泣きたくなる。時には泣いている。雨は内へ内へと眼差しを向けさせる。家へ家へ。僕は想い出に泣かされてるわけではなく、想い出に泣いてるんだろうなと思う。記憶の園に自ら赴いてそこで涙を流している。もちろん誰もいない。そうやって想い出の鮮度を保ちたいのだろう。愚か者よと誰かは言うか。まあそんなことを今までネガティヴに捉えていたのだけど、そうでもないような気もしてきた。僕には一人の時間が必要で、大切なものだと知った。センチメンタルがブルーだとしたら、もっと透明なものを見つけたい。透明だけど形あるものを。本当はギターもペンもいらない気がする。

洗濯物を干すときより洗濯機の回る音を聞いているときの方が気持ちがいい。洗濯物を干すのはめんどうだけど、そんな生活の中の一つの動作をゆっくりこなせるようになりたいなとも思う。自然体とはなにかなと最近よく考える。僕のことをいつも僕が見ている。それよりも綺麗な景色が見たい。綺麗な人を見たい。言葉に介入されない時間が欲しい。

「また明日」の瞬間にフェイドアウトしていく。と同時にフェイドインしていく。時々暗闇というのが誰かが大きく開けた口の中に思える。そうして誰かが罠にかかるのを待っているような。「神様」と「神様みたいな存在」はちょっと違う。

日々考えていることがたくさんある。流れていくこともたくさんある。嬉しい出来事があった日は時間の流れに傷をつけることが出来た気がする。日付の横に自分の名前を刻めた気がする。考えるべきことというのは実はあんまりないように思う。やるべきことはやっていくのみ。

ところで毎晩一人でご飯を食べているのがなかなか寂しい。犬に会いたい。

みなごろしの緑


Phew - May

日記。「今日は良い天気でしたね」で会話が終わることもしばしば。お互いミットを構えて待っているような感じだ。日が暮れて家に帰る。雲が流れているのを見て、まだちょっと焦ってしまう。陽だまりに光る林檎をかじる気になんてならない。

 

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一人でふらふらと奈良県東吉野村へ行った。亡き祖母の故郷。ニホンオオカミ最後の地。幕末の志士、天誅組にとっても最後の地となった。僕は生まれたところとは違う緑を見たかった。それでも少し繋がりを感じる緑を。最後のニホンオオカミに想いを寄せる。家族はいたのかな。ほんとに身勝手な人間でごめんね。土の中のプラスチックは居心地悪そうにしてる。

 

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祖母は頭の良い人だった。文才のある人だった。戦時中投稿した作文が川端康成に評された、その雑誌は我が家に大切に保管されている。慈悲深い人だった。時々小さな女の子に見えた。自分の家で死にたいと言っていた。子供の頃オオカミの遠吠えを聞いたと言っていた。おばあちゃんが言ってるならそれはオオカミだったんだろう。初めて体験した身近な死が祖母の死だった。僕は不思議で仕方なかった。

夜になり、部屋のドアを開ける前から一人に退屈してしまう。僕は一人が下手くそだ。オルゴールのふたを開けながら知らないメロディが流れるのを期待しているようだ。思えば客が誰もいないライブハウスは寂しかった。客が満員のライブハウスも寂しかった。

夕方から眠りにつくまでの時間、大体台所にいる。ギターを弾けばいい具合に響くし、あとはずっと静かな場所。水に棲む生き物を飼いたいなと思う。亀とかおもしろい。子供の頃、使わなくなった浴槽の中で亀を飼っていたのだけど、雨の日に増水してしまって亀はどっかへ逃げてしまった。強い。

愛のゆくえ、魂のゆくえ

夜空に十字架


十字架に帰ろう / 高石ともや (2016年)

これは、日記です。散らばったパズルのピースみたいな。今日は5月の快晴でした。

五月晴れとは梅雨の晴れ間に使う言葉だとさっき知った。知らないことは本当に知らない。みんなそうなんじゃないの?それにしても、緑が萌えると表現した昔の人たちを尊敬する。最初に夜空に星座を見出した人たちを。ロマンは大自然の中にあるんだね。

キリストのことを考えていた。ブッダのことはあんまり考えなかった。マザー・テレサは信心深く、慈悲の心をもって多くの人を救ったが、「それでも神はわたしをお許しにならない」と言ったそうだ。

高校生の頃にマルグリット・デュラスという作家の「これで、おしまい」という本を見つけた。見つけたものの読むことはなく、去年やっと購入して読んだ。この本は彼女の代表作というわけではない。自分の死期を悟った上で書かれた手記のようなもの。入り込むと、どこか遠くへ連れ去られてしまうような深さがある。その中に若い愛人に対して書かれたであろう言葉があり、最近ふと思い出す。

私の命の中に来て。(『これで、おしまい』)

これはなにも芸術的センスに恵まれた人だけが感じることではないと思う。混沌とした若い人にも老いを見つめる人にも、わかる言葉なんじゃないかな。いや、誰もが思うような気もする。孤独に対する究極の対処法。叶うことのない。どうかな?

仏教は自己と向き合い、精神を鍛え上げるようなイメージ。修行。キリスト教には常に他者がいて、祈り続けるイメージ。僕は祈る方に興味がある。誰かが寄り添ってくれるような時間。孤独は一方でセンスと言えるのではないか。誰にも見えない秘密のナイフを研ぐ作業。どうかな?

それからデビッド・ボウイの「ロックンロールの自殺者」を思い出した。大好きな歌。ボウイが他者に対して限界まで近づいて叫んでるような気がする。


宗教の祈りは「神が自分の中に入ってくること」かもしれない。どうかな?

それからそれからアンドロギュヌスの神話を思い出したりもした。女と男は一つの球体でだったという話。それでいくと僕は半身なくしたままの男だ。なるべくけろっと過ごしながら、夜は秘密のナイフを研いでいる。愛とか寄り添うとか、結局は理解そのものではなくて理解しようとすることだろうな。どうかな!

どれが正しいかなんてどうでもよくて、それがその人を本当の意味で助けるのならそれでいい

ミッドナイトラジオ

間違いない、約束しよう。間違いのない約束をしよう。よく考えろ。よくよく考えてみろ。ここから飛び降りるなんて無茶なことだ。そもそも馬鹿らしいことだ。ちょっと小さく見えたくらいで強気になってるのさ。現実と幻の境目で風邪を引きかけている。言わばおれはもう誰の手にも届かない空飛ぶ風船で、いつかパチンと割れて、海の生き物を殺してしまうんだ。ごめんよごめんよ。街の灯りが綺麗だったんだよ。住み慣れた街に奇跡の破片を見つけたかったんだよ。それがもうどこにも無いのならゴミ箱の中で暮らしたっておんなじだって。それをどこの口が言いやがる。月は冷たい銀貨に変わり、最早大した価値も無い。湯気を立てた恋人たちは路地裏で赤い契りを交わし、野良犬は自分のしっぽで満腹になってる。見てみろ、なんにも関係ない夜さ。針の穴が見つからないんだ。なのに血は流れ落ちてるんだ。"でたらめ"と呟いて残りの水を飲み干す。蛇口をひねればいくらでも出てくるだろう。だが最後の水と決めたんだ。次はないぜってね。それはあんたには関係ないことだ。だからもう話をするのはこれで最後にしてくれ、次はないぜ……目の前に差し出したこの左手が題材なんだ。右手はそれを書くためにある。歩いていけばページが進む。何か言わなきゃならないのか?感じたことをさ。つけっぱなしのラジオから流れる音楽。ノイズというのは真実を包むオブラートみたいなもんだ。良い歌じゃないか。夢中になるような3分間。おれは引き返そう。また今度にしてやる。鍵は渡しておくけどな、いつも居るとは限らないぞ

おれの名前には血が通っている。おれは、名前と一緒に生まれた。おれにつけられた名前は一つしかない。誰かが勝手につけた名前でおれを呼んでもおれの血は躍らない。他者は他者の中の心地よい場所におれを居座らせたいのだ。違う。そうじゃない。本当の名前を呼んでくれ。おれの血を呼んでくれ。呪いのように。名前を呼んでくれ。



陽は高く 黄色い水仙 愛していたよ おれの鎖 かじった林檎 見つめ合ったら 溶け出した 遠くの山に 埋めてきた 星の悲しみ 歌が聞こえる 耳を塞いで あなたが見える 鼓動がにわかに わずらわしい ひとりの部屋で 火を囲む人 読みかけの本 ちぎれたしおり 真綿のような 雪は白く 目が覚めたなら 出かけよう においを頼りに 歩き出そう いらないものは 捨ててしまえ 辟易するぜ 出来るなら 祈りを込めて 名前を呼ぶよ うらぶれた路地の 裏にある 窓から身を出す 少女の心  初めて会った 気がしない やっと気づいた 瞳の奥に 幼い頃の きみを見た 映画も終わり 帰り道 いつになったら 言えるだろう 月が代わりに 笑い出す これは捨てられた一枚の 紙きれにあった 言葉たち