秋の日(村八分のこと)

風邪で寝込んでいる間、村八分を聴いていた。チャー坊のことを考えていた。中学3年生の頃に村八分を聴いてから僕にはロックのヒーロー的存在だ。ビートルズのような原点。最初はただ音やパフォーマンス、エピソードがカッコイイと思って聴いていた。だがそれ以上のなにかがあると思い始めた。特にボーカルであるチャー坊に。それから調べに調べ、集められる資料や音源を手に入れた。そこには発売されてないライブ音源もあったりする。自由研究をしてた。チャー坊は不思議な人だと思った。ただ楽しくて音楽やってた訳じゃないのかな、と。山口冨士夫さんが書いた村八分の本で冨士夫さんは、ロックは生き方の話なんだと書いていた。17歳になった僕は京都に通い始めた。京都を選んだ大きな理由は村八分の活動拠点が京都だったから。髪も伸ばしに伸ばした。だってチャー坊の長い髪が素敵だったから。京都には村八分の足跡がたくさんついていた。元メンバーが経営しているバー。元メンバーと対バンしたことある人。チャー坊が寝泊まりしていた家、弾いていたギター。ふと入ったライブハウスで村八分の未発表曲を演奏しているバンドもいた。京大西部講堂で見た冨士夫さんのライブを忘れることはない。冨士夫さんはギター全然弾けてなかったしヘロヘロだったけど全然ダサくなかった。最高にかっこよかった。本当に初めてチャー坊と作った曲をやってくれた。秋の日という曲で、それはチャー坊遺稿集の1ページ目に掲載されている詩だった。ライブ後になぜかメンバーに間違えられて冨士夫さんに話しかけられた。会話じゃないけど、とてもドキドキしたし思い返せば嬉しくなる。村八分って本当にいたんだ!当たり前だけど。感激した。その後、チャー坊のお墓まいりに行った。薔薇の花を一輪、手紙も書いて行った。かっこつけだなあ。でも好きだったチャー坊のこと。百合の花が好きだったらしいけど、僕には薔薇柄の服のイメージが強かったから。墓石にはくたびれての詩が刻まれてた。新しい花も供えてあった。会いたかったな、ライブ見たかったなって思った。僕の好きなロックミュージシャンはほとんどもう亡くなっていて悔しくなる。チャー坊、ゴッホが好きで星月夜が特に好きだったとか。黒澤明の夢も。僕も好きなんだ。チャー坊のように自由にあるがままロック出来てないけど、だからこそ生きてロックし続けるチャー坊も見たかったです。でも色々残してくれて良かった。村八分というバンド名はあるフォークグループから拝借したらしい。しかしチャー坊は、世の中で何らかの理由により村八分にされてる人たちに向けて歌いたい、ということもどこかで語っていたと思う。一見怖いようでやさしい心を持ってた人だという印象が強い。僕は自分で学校に行かないことを選んだけど本当にひとりぼっちだったから、村八分に惹かれたところもあっただろうか。

 

走り書きのように、村八分のことを書いた。ぐちゃぐちゃしている。中学の頃から変わらない想いがある。なんだろう。僕は村八分、チャー坊を追いかけている。この想いはなんだろう!

 

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