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きみがぼくを教えてくれる

自分自身の記録です

いまの頭の中

・雨、夜明け、傘を差さないで公園にいた。現状から逃げようとする自分がいた。頭ではやらなければいけないことがわかっているのに動けなくなっていた。心の中でつぶやく声を否定する自分、それを更に否定する自分が何人もいてなにがなんだか聞き取れなかった。母に電話していた。母の声はちゃんと聞き取れた。それを否定する声はなにもなかった。

 

・僕にはまだまだ自分を認める力が足りない。今まで必要なのに出来なかったことをマイペースでも出来てきている。それは認めてやったらいいじゃないか。長年のくせでやたら心中で自分を責め続ける。だがそれはなんの役にも立たない。1人で苦しむことに落ち着いて、ある種楽な状態になろうとしているとも言える。気にかけてくれる家族や友達や人がいてなぜ1人になろうとするのか。それは甘えではないのか。それに、人に繋げてくれた音楽をやってきた自分がいるのになにもやってこなかったと僕は思っているのか。言えるのか。

 

・独りで思い悩んでわかることはなにもない、思い悩むなら連絡してよ。あのこにそう言った。だから僕も連絡する。「きみは独りじゃない」と言うのは簡単だ。david bowieはすばらしいロックンロールを使ってギリギリまで近寄って言ってくれた気がする。誰かが差し伸べた手をつかむのには自分も手を差し伸べなきゃ届かない。大切な人を想うなら、自分のことばかり考えてる自分なんて風に思わないで手をつかんでほしい。だから僕も手をつかむ。

 

・ぼく自身の戦いは1人かもしれないが「ぼくは独りじゃない」だから「きみは独りじゃない」と言いたい

 

・絶望しがちな自分を遠くから見る。絶望なんかしたくないし決してそれがすべてと思ってはいけない。けど、どうやら自分は絶望してもどん底まで絶望できないタチらしい。東京に来て周りにいてくれる友達の姿が浮かぶようになった。その人たちと離れるのが嫌でしょうがないと思うようになった。とてももったいないと思うのだ。おんなじ若さの中でふんばって、これから変わっていく自分と友達を見たい。楽しいことをしたり素直な考えや気持ちを交わしたい。

 

・救いたいとか厚かましい考えでは決してなくふと思う。やさしい友達やさしいあの子やさしい姉たちがなぜ悲しくつらい気持ちになって泣かなきゃいけないのか。思っても仕方ないかもしれないが、なんで?って思うときがふとある。なんでだと。

 

・ぼくは地に足つけて生きたい。芸術の才能や特殊な力は欲しくない。

 

・ぼくの音楽は生活の後にある。音楽が先にない。10代の頃、やっぱりずば抜けた才能があって早くこの世を去ってしまうような人に心のどこかで憧れていた。今そのような人に憧れはなく、なりたいと思ってなるものではないと思う。ぼくは出来る限り長生きしたい。音楽に限らず生活の中でたくさん作品を作りたい。言葉や音は精一杯生きている人からほとばしる命のしぶきだと思う。この間daniel johnstonドキュメンタリー映画を見た。見るのは二度目で、一度目は高校生の頃。精神病やドラッグ。苦しんだり色々な人に迷惑かけながらもダニエルは新しいインタビューの中で「アートや人生は自分の感情を表現できるから面白いんだ」と言う。自分という存在、長い間やってきたことに自分なりに答えを出す。年老いた両親と一緒に暮らし、近所の人とバンドをやったりしてる。

 

・こう生きなきゃならない人生はなにひとつないけどこう生きたい人生が別にある

 

・(自己犠牲や共倒れや傷の舐め合いではなく、さらけだして見つめあって、厳しさと優しさをもって2人で明日に向かって生きて、2人でおんなじ家に生きて帰るペアが愛し合う2人なのかもしれない)

 

・「世界全体が幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」作品の素晴らしさとは別に、どうしてもぼくにはしっくりこない宮沢賢治の言葉。どうもぼくにはこの言葉の世界と個人が逆に思える。各々個人、小さなグループで幸福を築いていけたら世界は幸福になってるんじゃないかと思うからだ。宗教や色々な背景のある宮沢賢治はあんな風に考えるかもしれないけど、ぼくは自分や周りの人を思うことで精一杯で世界はでかすぎて頭の中に入らない。世界の中の日本の中の自分だからまず自分のことを精一杯努めたい。