アーメンフリー


Novo Tono - Yume no Hanshu [1996]

日記。降りしきる雨の音を聴きながら、ホットレモネードを飲んでいる。キッチンには誰もいない。締め忘れた蛇口が泣いている、なんて思ってないでちゃんと締めよう。走り描きでもいいから未来を描こう。僕に出来ることを考えよう。

あの天の邪鬼な飼い犬が、段々と大人しくなってきているらしい。年のせいなのかな、と年老いた父親がつぶやいた。父を乗せたドライブの途中、ちょっとそこの神社に寄ってくれと言われたので車を停めた。父は、リースの材料に使うからと境内に落ちた松ぼっくりを拾いだした。僕も一緒になって拾った。僕たちは強く美しい自然を目の前にすると、幼い二人組の子供になる。そして、閉め切った家の中では不自然なほどぎくしゃくした父と息子になる。風は大切だ。だから窓も大切だと思う。

そういえば、今月の11日で27歳になった。人前ではあっという間だなんて言ったりするけど、時間の流れは妥当だというのが僕の本心である。ロックの世界では27歳で亡くなったミュージシャンたちのことを27クラブと呼んだりする。たとえば、今年のどこかのタイミングで自分が死ぬと想像すると、そんなのあまりに早すぎる。10代の頃に憧れた早世したロッカーたちを、今は気の毒に思うこともある。音楽をやめていればもっと長生きしてたのかなと、考えることもある。この世のどっかに戻れない道があるんだろう。僕には、夢見ることだけをすべてと思うことはできない。

ここ最近は泥の海を泳いでいるような気分だった。毎日夕方になると行く先も決めずに車を走らせ、まるで落ちている小銭を探すように通り過ぎる風景の中に何かを見つけ出そうとしていた。そんなことをしても結局小銭が減るだけで、元も子もない有様で。

けれども、こんな僕にも天使がやってきたのである。誕生日の数日後、天使は突然電話をかけてきて、一緒にご飯を食べようと誘ってくれたのだ。そして翼があるにもかかわらず、二時間ほど電車に揺られて僕の街まで来てくれて、誕生日プレゼントにと天使が選びそうな素晴らしい本をくれた。夕ご飯、天使はお好み焼きを自分で焼くということに興味津々だったので、二人でお好み焼き屋さんに行って一緒に焼いて食べたりした。僕は話すたびに生き返っていく気がしてた。数時間後、天使は再び電車に乗って帰っていった。ちょっと涙が滲んだけど、それは満たされた気分だったからだ。まあこうして僕は泥の海から脱出できた。水面から顔を出すと、大して陸地から離れていないことにアホらしくなったりもした。ともかく、嬉しい出来事だった。ありがとう。

明日があるから眠ろうか。明日がなくても眠くなる。生きてるというのはなにかしら溜まっていくことで、生きていくというのはそれらを放出していくことのように思う。だから伝えたいことを伝えたい人に伝えるべきだ。独り言でも助けとなるさ。眠ろう。僕に愛を教えてくれる愛すべき人たちの幸福を祈る。僕の意識と無意識が、肉体と頭脳が仲良くあることを。