死にたくはない

うまく言えなくてもいい、綺麗に書けなくてもいいから、今の心情を素直に記すことにした。大体僕は人の目を気にしすぎだ。人に気を使い過ぎている。家族に対してすらそうしてしまう。そしてそんな自分を馬鹿だなと思う。ただ、無意識はなかなか言うことを聞いてくれない。もっと楽にしたらいいのにな。誰にも嫌われないようにしようなんて、無茶な話だ。嫌われてもいいから、自分にとって譲れないことを主張した方がいい。嫌なことは嫌だと伝えた方がいい。僕はその場その場でそれが出来ずに溜め込んで、結果的に色々な人を傷つけてきたと思う。ずいぶんと勝手なことをしてきた。それでも自分は少しも気楽じゃないのだから、一人自己憐憫し続ける自分だけが残る。何の役にも立たないことだ。僕はそんなことを繰り返してきた。こんな僕が始まったのは、生まれたその時からではない。11歳の頃、学校に行くことをやめた時からだ。同級生に意地の悪いヤツがいて、そいつに会いたくなくて行かなくなったのが始まりだった。けど、そんなことはきっかけでしかなく、今となってはどうでもいいことだ。別に恨みを持ってるわけでもない。そもそも誰かを心底恨んだことがない。やっぱりいつも矛先は自分に向いていた。僕は自分をいじめるのが得意らしい。見方を変えれば自己愛の世界とも言えるだろう。それが苦痛で仕方ない。今までも、今でも。学校に行かなくなったとき、最初は両親も行かせようとした。両親というより、母の印象が強い。父になにか言われた記憶がない。僕は、父に怒られたことがない。なにかをしろとか、強制されたこともない。中学も学校に行かない日々、その頃父とはほとんど話をしなかったと思う。僕は、暗闇の中で宙ぶらりんの状態だった。今より何にも知らない、幼い子供だった。恵まれた環境だとは思う。感謝もしている。だけど、僕は父に命令してほしかった。なんでもいい。道を示して欲しかった。なんでもいいから、僕たちは素直にその時の胸の内を語り合うべきだった。肝心なことには踏み込まず、そっとしておくのがうちの家族。内容は書けないけど、姉はもっと辛かったと思う。でも僕はもうだいぶ大人と言える年齢になってしまった。10年遅れた反抗期。反抗期っていうのは中学高校くらいでやっといた方がいい。僕はもう年老いた父に向かって気持ちをぶつけることは出来なくなった。どれだけ冷静に丁寧に話しても、父には伝わらなかったし、父は塞ぎ込んでしまう。こんなことを続けて変わることと言えば、家族が僕を怖がるようになるくらいだろう。家族が他人のように感じたとき。とても辛かった。難しい。人に話す、相談できることでもない。よそはよそ、うちはうちというように、それぞれの家族に事情がある。そもそも人は、みんな違う…。僕ももっと世の中にもまれて、頑張ってやりきったその先で、みんな違ってみんないいなんて思えることもあるかもしれない。それが今は、みんな違うから困ってしまっている。自分の時間が多いから、考えすぎなんだとは思う。とらわれている。性質というより習慣のような気がする。それを変えていくことが、こんなに難しいとは思わなかった。気づけることが多くなったのは成長かもしれないが、それに行動や体験が伴わないと、頭でっかちになってしまう。くらーい暗い頭でっかち。僕だって暗くなりたくはないんだよ。今のままでいいなんて、思ったことはない。それでも知らず知らずに甘んじて、必死になれてない自分はいる。結局、自分との戦いでしかない。他人と自分をいい感じに切り離さなきゃ、身が持たない。大事な人はいる。それはありがたい。音楽やっていて一番良かったことは、人と出会えたことだ。学校からも逃れて、働くこともうまくいかなくて、そんな中で人との繋がりが出来たのは音楽のおかげだ。それでもやってくる虚しさは、恐ろしい。虚しいっていうのは怖いんだ。喜怒哀楽の内に虚しさはない。心が動いていないから。こんな世の中ってほとんど思ったことがない。ろくに世の中に出たことないのもあるけれど。楽しいことや喜びは、ちゃんと用意されてるだろう。なりたい自分になるための課題は人それぞれあって、それがクリア出来たらそんな楽しさや喜びに会えると思う。いや、信じている。実感もある。だって心が世界を映すから。映画の雨に唄えばみたいな感じ。どんな時代も人はあんまり変わらないと思う。だから歴史を調べるのが好きだ。

 

なに書いてるかわからなくなった。僕は今家から遠く離れたスーパーの駐車場でこれを書いている。心のどっか片隅で、死んでしまおうかとも思っている。自分が空っぽに思えてる。そんな混乱の入口にいる。それでもこうやって人目につく場に言葉を放つのは、僕が僕を守ろうとしてることでもあるかもしれない。思うように生きられないから死にたいわけだ。だから本当は死にたくはない。あまりに暗くて寒い夜