ねいろ

電話越しにきみの声を聞く度に元気が出ることに気がついた。今更かもしれないけど。カート・ヴォネガットの『タイタンの妖女』にハーモニウムという生物が登場する。その生物は「ぼくはここにいる」と「きみがそこにいてよかった」の2種類の言葉だけで会話する。たしかそんな話だったと思う。僕らの長いおしゃべりを要約すると、そんなシンプルなものになるのかもしれない。僕はそう考えながら絵を描いている。絵のことはなにも考えていない。僕はここにいる。きみはいつも遠く離れたところから僕に対して様々なきっかけをくれる。一日が終わる頃にそう気づく。きみがそこにいてよかった。いてくれてよかった。そばにいたいのは山々で、道はいつもつながっているのに、いま僕らは見えないものにてんてこまいで、こんな不思議なことがあるのかと傍観していたはずが、こんな馬鹿らしいことがあるものかという怒りに変わり、キャンバスには自然と赤い絵の具が広がった。それでも黄色が混ざるのは、怒りだけじゃ身がもたないから。きみの窓からは明かりが見える。僕の窓からは黒々とした山しか見えなくて、こんなに真っ暗でなにも見えないなら、きみに会いに行ってもいいんじゃないかと思えてくる。朝陽が昇るまでにきみのところまで辿り着けたなら、許されるような気がしてくる。僕の願いは、見つめ続けた現実の向こう側にある。黒々とした山の向こうに。明かりがある。二人の上にはいつも明かりが。すてきなねいろが聞こえるね。僕たちは似通った生物として寄り添いあう。そしてそれぞれまったく違う夢の中でお互いに出会っている。おやすみを忘れずに。