寄せる波に寄せて

いつもは雨が好きだけど、昨夜の雨はあんまりだった。このびしょ濡れになった身体を連れて帰らないといけないのかと、面倒になった。時折、人間ぜんぶにウンザリする。ざっくばらんなディストピアを描いては、そこに存在する自分に対しての都合の良さに気付き、想像することを中断する。全身真っ黒の人間ではない動物になって、海を目指して四つ足で駆けて行きたくなる。どこかに仲間がいると信じながら。

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そういえば嫌な夢を見た。暗いトイレの個室の中で、汚れた便器を必死に磨いてた。汚れは落ちず、僕はまあこれでいいだろうと妥協したのだった。嫌な夢を見るともう一度寝るのが嫌になる。それでも疲れていたので、また眠りについた。僕が疲れているときは、人と話すことを忘れているだけのように思う。ぼんやりとした頭で『ハウルの動く城』に出てくる幼少期のハウルが過ごした場所へ行きたいと思った。毛の長い動物に生まれ変わったら、一匹でも平気で寝れるのだろうか。

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久しぶりに本屋へ行った。来年の手帳がたくさん並んでいた。僕は手帳を使い切ったことがない。それは、手帳が入るサイズのカバンを持ち歩かないからかもしれない。もらった図書カードでアーサー・C・クラークの『幼年期の終わり』を買おうと思ったが、読んだらなんだか白けてしまいそうな気がしたので、やめた。代わりに『辻征夫詩集』を取り寄せてもらった。本を受け取りに行くという行為は、昔からわくわくする。中園孔ニの絵が表紙に使われている文庫本を見つけた。ゴッホの絵が使われたグッズがいくつもあった。ゴッホの絵は、もはやフリー素材のように扱われている。馬場のぼるの『11ぴきのねこ』もあった。僕は美しいものと、病んでいるが美しいものと、のんきなものを求めている。そんな3つの頭を持つ動物が、心の裡で鎖に繋がれて餌を待っている。

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「君を自由にしてあげよう」「どんな季節の中にいても、自分の星座の位置がわかるように」「僕はどうしてこうなったのだろう」「なぜそうなっているかがわからない」「きれいなものが見たいだけ」「出来れば仲良くしたいだけ」頭の中ではおしゃべりが続く。雨は僕にとって消音機能の役割がある。退屈は嫌いだ。退屈は繰り返しからやってくる。どうも自分に納得がいかないらしい。まるっきり他人になることは気違いになることと同じじゃないだろうか。わからない。それが役立たずの考えを止めるためのひとつのピリオドになる。もう何も言うことがないのなら黙ってやり過ごしていればいい。打ち寄せる波を見てる。次から次へ、波を見てる。頭の中じゃ永遠に夕暮れだ