自由に飛べると知っていたはずなのに僕達にはなんで飛べない時期があったのかなあ

今朝はずいぶん不機嫌なまま見送ってしまい、そのことを夕方まで気にしていた。僕に残された時間はあと夜しかない。だから部屋を明るく満たすことにした。自分の夢の中ですら、いじめられることだってある。ゆるやかに自走するおもちゃの車に指を軽く押し当てながら、行く先を決めていくようなイメージだ。いまいるその場所が自分ごと見えたのなら、もうきみは次のシーンにいる。

いつの間にか鳥のことを考えていた。ビートルズのフリー・アズ・ア・バードを聴いていたからだろうか。ジョンの死後、彼の未発表曲にポール、ジョージ、リンゴの3人が手を加えてビートルズとして発表した曲。この曲には好きなエピソードがあって、僕はしょっちゅう思い出す。それはレコーディング時にメンバーの家の庭で3人が記念撮影したときのこと。シャッターを切る瞬間、どこからか白いクジャクが現れ、メンバーと一緒に写真に写り込んだというものだ。ポールはそのクジャクをジョンだと思った。ポールがそう言うなら、それはそうなんだろう。かつて祖母は幼い頃、ニホンオオカミの鳴き声を聞いたことがあると話していた。祖母が鳴き声を聞いた年は、ニホンオオカミが最後に発見されてからずいぶんと経っていた。けど、鳴き声の主はニホンオオカミだったんだろう。それはそうなんだろう。僕はこの気持ちをこれ以上いじくり回さずに飾っておきたい。

 

自由な鳥の記憶I

台風が去った後、森の入り口で巣から落ちたと思われる2羽のメジロの雛を拾ったことがある。どちらもだいぶ弱っていた。1羽はすぐに死んでしまった。もう1羽の方は与えたエサもたいらげて、小さい鳴き声を上げながら駆け回り、すっかり回復したかのように思われた。けれども突然死んでしまった。僕には見えないか細い糸が、知らない間にほつれていたのだ。僕は不思議で不思議で仕方がなかった。

自由な鳥の記憶II

小学校にあった烏骨鶏の鶏舎の中に、1羽だけキジが紛れ込んでいた。なぜだか理由は知らなかった。キジはいつの間にかそこで飼育されていた。たった1羽のキジは鶏舎の中をせわしく動き回り、他の烏骨鶏たちをよくつついていた。ある日、大々的に鶏舎の中を掃除することになり、鳥たちぜんぶを外に出すことがあった。キジは一瞬の隙を逃さなかった。囲いを蹴り、捕まえようとする手をすり抜け、翼を広げ、校庭の端から端まで飛んで行き、山の中へと消えていった。僕は「よくやった!」と感心した。

自由な鳥の記憶III

一度、電信柱の上にとまったミミズクを見たことがある。野生のフクロウはまだ見たことがない。でもたぶん、フクロウに耳があるようなのがミミズクだから、ミミズクの耳がないようなのがフクロウなんだろう。

自由な鳥の記憶Ⅳ

猛禽類というのはあまり好きじゃない。彼らがどこを見ているのか、何を考えているのか、検討もつかない。家の庭に池があった頃、池に水があり何匹もの鯉が泳いでいた頃、池にかかった石橋の上にアオサギが立っていたことがあった。アオサギはこちらに気づいてすぐに飛び去った。鯉たちは無事だったが、サギは鯉を丸飲みするつもりだったのだろう。

 

僕は長い間、母方の祖母が生まれた土地と、僕が生まれた土地をつなぐニホンオオカミという存在に思いを馳せていた。いや、それが自分のルーツだという風に思い込んでいたのだ。自分の血の中に原始的な要素を見出したかった。特別な風に。また、自らをヘロン(鷺)などと名乗り、歌を歌うようになっていた。しかし、所詮僕は野鼠なのだ。臆病に逃げ回る野鼠の方がしっくりくる。クチバシもキバも持ってない。それでも、自分より小さな生き物を捕食しながら生きている。たまに僕を食べる生き物の前に、この身を差し出したくなる。クチバシやキバを、どこかに運んでくれるクレーンのように錯覚する。

 

あっという間に日が暮れた。いつも暗くなる前に明かりを点けるように心がけている。僕が他人に教えられることは、それくらいしかない。帰ってくるまでにご飯を作ろう。彼女にとって今日の僕は不機嫌なままだ。1日の中で何度も生まれ変わる。朝決心したことが、夜には理解出来なくなっていることだってある。それはおかしなことだろうか?わけもわからず泣き出す人を笑えるやつが、本当にいるのか。そんなやつらは言葉の中で自由になった気でいるだけだ。仮定の中で気取ってきただけだ。僕には平和な心地が必要だ。そのためにとりとめのない会話が必要だ。1人なら遠くへ行けるかもしれないけど、どこまで行っても渇いたままだろう。寒くなって、気がついたことがある。