苦、擦り切れても

日記。やり場のない言葉が毒に変わる前に。手塚治虫火の鳥の、何編だったか忘れたが、罪を犯した女剣士が山奥の寺の尼僧になり、その寺から一生出れなくなる話がある。出れなくなるどころか、おんなじ生涯を永遠に繰り返させられるという恐ろしい話。僕は時々自分の生活をそんな風に感じてしまう。神さまみたいなやつを、卑怯者に思ったりもする。けど、僕は飛べない運命の中にいる。早いとこ重力の下で楽しむ術を身につけよう。生き物を繋いでいるのは生というより、死という結末なのかもしれないと、別に本気で思ってるわけではないんだよな。

 

「洗脳」という字を不思議に思う。他人に毒され利用されるイメージなのに、なぜ脳を洗うなんだろう。ジョージ・ハリスンの遺作は「Brainwashed」だったっけ。ジョージの歌う愛はとっても静かだ。彼は心に平和を求めたビートルだった。

 

友達と電話した。友達は電話の向こうでお酒を飲んでた。電波の中にレモンを感じた。暗い気持ちになる曲を、好き好んで聴かなくなったという話をした。イニシエーションで良かったと。僕たちはもうそこにいない。そこにいた僕たちは、少しの霊感を失い、少しの気楽さを覚えた。僕が家出したとき、夜通し歩いてつけた足跡が、今もどっかで歩き続けているような気がした。あのとき僕に声をかけてくれたのは、ホームレスのおじさんだけだった。

 

無性に日の出を見たくなり、朝まで起きていた何日間があったっけ。夜明けの時刻にはもう眠たくて、朝陽を前に疲れ果てた僕はまるでドラキュラ伯爵のようだった。Lou ReedのPerfect Dayを聴きながら、山の向こうに未来の恋人を描いていた。朝も昼も夜も、僕は僕を失わなかった。狭い世界のお城の中で、イバラの無い薔薇を育て上げていた。その種はもう手元には無い。

 

僕は家族の中でおばあちゃんに一番やさしいと思う。もうイライラすることもほとんどない。おばあちゃんは美空ひばりの歌が好きだ。僕も美空ひばりの歌が好きだ。歌を聴いて感動するとき、歌っている人と話してる感じがする。自分の歌に対する褒め言葉で一番嬉しかったのは「きみの歌を聴いてるときみの部屋にいる感じがする」だろう。しっくりくる、嬉しい言葉だった。部屋で作って、ライブハウスに歌いに行くんだから