それはスポットライトではない

昨日は朝6時に目が覚めたっけ。起き抜けが一番お腹がすく。寝ぼけまなこで台所、なにやら食べた記憶がある。いくらでも食べてしまう。ご飯を食べれることは幸せなことだ。朝は当たり前のことが身にしみる。陽が差し込んだ台所はなんだか新しく感じた。窓辺でCat StevensのMorning Has Brokenを2回聴いた。それからアルバム作りのためにたくさん歌った。歌い出すと気持ちよくなる。体を動かすことと同じように思う。Oh!Darlingのボーカル録音をするのに朝一でスタジオに入り、1人歌っていたという若き日のポール・マッカートニーの姿を思い浮かべた。やっぱりあの曲はジョン・レノンへのラブソングなんだろうか。ライブで歌わないのはなぜだろう。レノン/マッカートニーの2人を思うとき、センチメンタルになりがちだ。テーブルの上の林檎が光っていた。

NHK「漫勉」の五十嵐大介さんの回のDVDを姉が買ったので見させてもらった。姉も僕も五十嵐さんのファン、学生の頃からお互いに漫画の貸し借りをしては内容についてよく語り合っていた。五十嵐さんの緻密な画風の印象から、なんとなく真面目で堅いような人物像を想像していたが、番組を見ていると真面目は真面目でも柔軟な発想や手法をもって創作に取り組んでいることが感じ取れた。漫画も結局絵なんだと改めて気がついた。五十嵐さんは毎日12時間も執筆しているらしい。とんでもないエネルギーだ。僕は女の子と動物と自然の描き方が面白い漫画が好きだ。

自分自身を無力に感じているのだろうか。どうなんだ?わけのわからない不安が明けると、そんな風に自分で自分を不思議に思うことがある。僕はここにいるのにここにいないようなんだ。根暗とか根明という言葉に大してこだわりはないけれど、僕自身は自分を根暗だと思い込んでしまってる気がする。それをどこかで演じているような違和感を感じる。暗いのは嫌だ。

自分の世界に穴をあけることばかり考えていたのかもしれない。実は僕が穴の中にいて、見上げることをしなかっただけなのかもしれない。そこから這い上がることを。それもネガティブな発想か!「私たちには気楽さが必要だね」と姉に言われた。ほんとにそう、そうだよね

今日はハレー彗星の名前の元になったエドモンド・ハレーという天文学者の命日らしい。この歌を思い出した。


"おいらの失くした光ってやつは76年に一回のハレー彗星かい?"


azumi「失くした光」