ゴッホ走り書き

ゴッホの映画を観てたら悲しくなった。終いにはゴッホの絵を見ただけで泣けてきた。何のおごりもなしに思うのは、僕とゴッホは少し似てる。僕はゴッホに共感する。僕は天才じゃない。だから狂気もない。どちらが先かはわからない。映画の中のゴッホは「自分を忘れるために外へ出て絵を描く」と言っていた。僕にはそれがよくわかる。ただゴッホは行動するのでえらいと思う。迫り来る狂気は耐えきれないほどのものであったとも思う。けど彼は絵を描いた。絵の中に命をわけた。それは神さまの命令ではない。僕は怠惰したり、あきらめてばかりであると思う。しかしそうして自己憐憫の道が出来上がってしまう。その繰り返しをしているように思う。用水路の小さな滝でくるくる回ってる不燃物みたいだ。タチの悪い繰り返し。自分の弱さに腹立たしい。外が寒くなるほど内に籠る。いい加減、いい加減にした方がいい。意識を外に向けるってことだ。その悲しさをすべてにしないで欲しい。他人事のようかもしれないけど、僕の中には他人がいる。そいつに椅子を奪われないように、僕自身が決めたことを実行することを、繰り返せばいい。

 

ご飯を作り、帰りを待ってる。僕がゴッホならきみはテオだし、僕がテオならきみはゴッホに思えてくる。そう、いまは沈んでいるけれど、笑っているときが一番楽しい。笑って眠りにつくときが、一番心地よい。