ゴッホ走り書き

ゴッホの映画を観てたら悲しくなった。終いにはゴッホの絵を見ただけで泣けてきた。何のおごりもなしに思うのは、僕とゴッホは少し似てる。僕はゴッホに共感する。僕は天才じゃない。だから狂気もない。どちらが先かはわからない。映画の中のゴッホは「自分を忘れるために外へ出て絵を描く」と言っていた。僕にはそれがよくわかる。ただゴッホは行動するのでえらいと思う。迫り来る狂気は耐えきれないほどのものであったとも思う。けど彼は絵を描いた。絵の中に命をわけた。それは神さまの命令ではない。僕は怠惰したり、あきらめてばかりであると思う。しかしそうして自己憐憫の道が出来上がってしまう。その繰り返しをしているように思う。用水路の小さな滝でくるくる回ってる不燃物みたいだ。タチの悪い繰り返し。自分の弱さに腹立たしい。外が寒くなるほど内に籠る。いい加減、いい加減にした方がいい。意識を外に向けるってことだ。その悲しさをすべてにしないで欲しい。他人事のようかもしれないけど、僕の中には他人がいる。そいつに椅子を奪われないように、僕自身が決めたことを実行することを、繰り返せばいい。

 

ご飯を作り、帰りを待ってる。僕がゴッホならきみはテオだし、僕がテオならきみはゴッホに思えてくる。そう、いまは沈んでいるけれど、笑っているときが一番楽しい。笑って眠りにつくときが、一番心地よい。

虚しさがぼくの血を吸って

虚しさがぼくの血を吸って

味のないガムを噛み続け

吐き出せないまま夜になり

味気ない今日を飲み込んだ


虚しさがぼくの血を吸って

伸び切ったゴムをもてあそび

捨てきれないままポケットに

使えない心がちぎれた


ぽっかり空にあいた穴

夜でもないのに

ライクライクライクライクイクラ

暗い暗い暗い暗い暗い暗い.....


だんだん景色がいろあせる

だんだん景色がいろあせる

ときどきなぜだかそうなる

一度も望んだことはないけれど


虚しさが僕の血を吸って

どこかへ消えていくリアリティ

虚しさが僕の血を吸って

喜怒哀楽ならまだいい方で

虚しさが僕の血を吸って

風に舞う昨日の新聞紙

虚しさが僕の血を吸って

すべてが遠くて冷たくなる

虚しさが僕の血を吸っても

朝っぱらからセミが鳴く

毎日のように蚊に食われる

血をくれてやっているのだと言いながら

片手で足を掻いている

台所に置いたコバエ取りは機能せず

目標は依然目の前を嫌がらせのように飛行中

半年間オスだと思って飼っていた熱帯魚が

実はメスだということを最近知った

しれっと名前を変えて呼んでみた

彼女は口をぱくぱくしてたが

ガラス越しには聞こえなかった

 

わかっちゃいたけど暑い夏だ

まったく嫌になるけれど

割とゴキゲンな心の裡よ

なんと平穏なこの頃の家よ

我が暮らしよ、恋人よ

窓の向こうがどうであれ

今この部屋が明るければ

 

 

背中に隠したナイフを捨てて

お互いの手を取り合って

脈々と受け継がれた一本の枝先で

同じ方向を見つめてる

なにはともあれのんきにゆこう

戦いながら祈ってる

あべこべな僕を笑っていいよ

わかっちゃいたけど暑い夏だ

行方知れずのピリオドたち

 

日記。僕の日記は夕暮れから始まる。たくさん雨が降った。溢れ返るほどの恵みも考えものだ。実家の裏山では土砂崩れが起きたことがなかったことを思い出した。山の頂上付近はあえて植林せず、雑木林のままになっている。雑木が落とす葉っぱがスポンジのような役目を果たすことで、雨によって生じる地盤の緩みを防げるからだ。それは自然と共に暮らした曽祖父の知恵だった。僕はそのことを父から教わった。曽祖父の代では木はお金に変わるものだったが、今はそうじゃなくなった。日本の木は誰にも邪魔されないまま静かに茂り、代わりにというようにどこか遠い国の木々がドミノのようにバタバタと薙ぎ倒されている。山で聞く雨の音が好きだった。今でも好きだ。自分という存在が、とてつもなく大きな獣についた一匹のノミのようにちっぽけなものに思えた。そのちっぽけさは心地よかった。生まれた土地と、そこで生きてきた人たちに育ててもらってきたことを年々実感することが多くなった。これからどんな風に生きていったとしても、生まれ育った場所に繋がるように生きたいと心のどこかで決めている。

海を眺めているのも心地がいい。昨日、初めて江ノ島へ行った。山間の景色と違って海は遥か先まで見渡せるので、広々とした晴れやかな気持ちになる。小雨の降る中、江ノ島神社に行ったり水族館に行った。水族館や動物園に行くと、ガラス越しにテレパシーを送る遊びを毎回やっている。もちろん返事が返ってきたことはない。子供の頃からドクター・ドリトルがうらやましかった。一度でいいので自然界の声を聞いてみたい。帰り道、波打ち際に溜まったゴミを見て自分の中に傲慢さを感じた。もっとシンプルになりたい。

時には、はっきりと死が確認されないまま消えていった人たちのことを思い浮かべる。源義経サン=テグジュペリなんかのことを。ついついロマンチックな方向に想像してしまいがちだけど、結局のところ自分の死の本能を強くしているような気持ちになるので中断する。

生きている間にたくさんのピリオドに出会う。自ら打たねばならないときがある。自分で始めたことは、自分で終わらせなきゃいけないと教わった。ごまかしたり先延ばしたりすると、ちゃんと現象になって返ってくる。自分のあらゆる感情を素直に受け止めたい。そしてそれらの根拠をわかっておきたい。困りたくないから

もう少しご機嫌に暮らそう。当分帰らないつもりです

 

夜と朝を繰り返し

夏には弱い。もともと体温が高くて汗っかきなこともあり、毎夏夕方にはヘトヘトになっている。派手に濡れたシャツを見て、体の半分以上が水分だという事実を実感する。クーラー要らずだった山間にある実家でも、近年耐えきれない暑さが続いている。このまま温暖化が進み、いつかは年中夏のようになってしまうんだろうかと考えたりする。あちこちに砂漠が出来たりして。あの生命力の強いゴキブリも、山が無くなったら絶滅してしまうと以前どこかで目にしたことがある。生き物のいない空き家になった地球を想像すると寒気がする。もちろんその頃には僕は跡形もない。

昨夜は多摩川で野宿した。家があるのに野宿するなんてホントに変なことだ。けど、外で寝てみたかった。幼い頃はよく外に布団をしいて眠る自分の姿を想像していた。なぜだかそうすると気持ちが落ち着いた。屋根も壁もないところで寝転がってると、いつもの余計な考えごともあまり顔を出さなかった。暗闇に目が慣れてきて、星を2,3個見つけられた。ウシガエルが鳴いていた。水鳥も眠らず鳴いていた。あっという間に空は明るくなっていった。服は朝露で湿っていた。寝転んだまま草と同じ目線で眺める世界はとても静かだった。生き物にとって自分よりはるかに大きなものは、ただただオブジェみたいなものになるのかもしれない。そう考えると人間のサイズが中途半端なように思えた。小鳥がせわしくさえずりながら、木と芝生を往復していた。僕は自由なんて言葉を考えないようにした。なにも考えないようにした。朝は当たり前のことがよくしみて、それ以上をしたくない。

時間があれば眠ってる。いつも眠くて仕方がない。目が覚めて頭がぼけてる数分の間に安らぎを感じる。毎日たくさんの人がそれぞれの場所を往復してる。僕は自分の頭の窮屈さに疲弊してる。いつも何かが足りない気持ちがずっと変わらず在り続ける。お金も欲しいが真理も欲しい。お金よりも真理が欲しい。愛する気持ちは捨てたくないが、何もわからなくなってしまう前に、うんと遠くへ旅をしたい。

天国への帰り道を辿ろうとするな

慌ただしい日々の中、浮いては消える日々の泡。数ヶ月前とは打って変わった暮らしっぷりに、ふと、とんでもないことになったなあと思うときがある。現在と比べられるものは未だに過去しかない。それはこれからもそうだろう。子供の頃はとんでもないことなど起きたためしがなかった。幸いなことに、大きな不幸にも出くわさなかった。知らないことが多くって、知ることは新しくって面白かった。なにかを知るたびに僕の心は大きくとんがったり、ギザギザになったりした。僕はその危なっかしく変わっていく心の形を武器のように見立てていた。父がここぞとばかりに取り出して活躍してみせる、十徳ナイフに羨望の眼差しを向けていた。僕の武器は誰かの気を引くためのものだった。

自分に困りたくないのなら、自分をよーく知っておかなければならない、ということを納得出来たのなら、もう誰も頭の中で暴れたりはしないんだろうか。この孤独は、僕が(唯一無二の)僕である、ということを実感できるまでにかかる時間のことを指すのではないだろうか。オチはわかってる。怖がることなどなにもない

ここは世界の真ん中かもしれないけど、地球のギリギリ端っこかもしれない。自分の頭の容量を超えた物事を考えはじめると、途端にどこまでも真っ暗な宇宙空間に放り出されてしまう。そんなときは青と緑を思い出せ。帰る家があって、待ってくれてる人がいる。青や緑を思い浮かべて、呪文のように繰り返せ。そうすれば思い出せる。どこにいても帰ってこれる。大丈夫。思い出せる。くだらない広告の束の向こうに焼き付いた故郷があることを

いつか自分に子供が生まれて、その子が一生懸命絵や図工なんかで作品を作ったら、とにかく褒めてあげたい。

僕は知っている。砂のように消えちゃうんである。いつもいつも、なにもかも。だけども握りしめた手の平の熱さが好きだ。失うものがないことに生かされている気がしてくるんだ。今夜、まっすぐ家に帰れなかった僕は、公園の砂場に投げ捨てられたプラスチックのおもちゃを弄びながら、いつまでも陽が沈まなければいいのにと遊び回った幼い頃の僕を背中に背負いこんでしまったようだ。愛情の裏側に生まれた憎悪は、愛されたことの経験により、愛することより決して上回りはしないのだとわかりかけてきたところで、ゆっくり眠っていていいよ。代わりに僕が目を開けてるよ。安心してもいいんだよ。僕はまだ、目を開けている。火星に隠された水のことを考えている。いいかい。いちにのさんで消えてしまうんだよ。いちにのさんで