「あゝ、ボーヨー、ボーヨー」と晩年の中原中也はつぶやいていたそうだ。『前途茫洋』とは前途有望の反対語で、この言葉が彼の造語であるということはつい最近知った。中学生の頃、父親の本棚から抜き取った詩集の中に見つけた彼の写真は、弱々しくて悲しそうだった。


この間帰省した際に父から聞いた話では、なんでも近所の家の蔵には中原中也から届いたハガキが眠っているとのことだった。その家の主人のお祖父さんの弟に宛てられたものだが、主人は文学に無関心な為確認しておらず、現存してるのかどうかもわからないらしい。もし残ってるとしたら、それはどんな内容なのだろう?まあなんてことないものかも。あれこれ父と話をした。それでも中原中也の生き残った文字として、ガラスの向こうに保存されるんだろう。亡くなった人の手紙や持ち物が、亡くなってからも残ることが時々不思議に思える。ゴッホの絵なんか世界中を旅をして、とんでもない大金で競り落とされて、当の本人はオーヴェルの土の下か、宇宙の塵か。

いまここに存在することは奇跡なのか。緊張感のない生活の中でまさしく前途茫洋している。1人の部屋は時間が止まっているようで、ちゃんと日が暮れて暗くなる。テレビに映る戦争に憤りを感じながらも、憂鬱にかまけて平和ボケしているのはどいつだろう。つい忘れてしまう。暗くなるのは容易い。自分を責めることも容易い。ついつい忘れてしまう。そのマイナス感情の渦から逃れることは容易ではない。縮こまった思考はまるで乾麺みたい。湯を沸かせばいいのに。忘れてしまう。

自分がまったくなにも出来ないような気がしてしまう。思いつくことになんの意味もないと。感情に支配される。ただの悪い癖だろ。大袈裟な。おまえは狂わない怠け者。やさしさも思いやりも自分の中から消えてって、友達※繰り返し

 

暗雲垂れ込める空に向かって鳴き声を上げる1匹の羊がいて、そばには仲間も羊飼いもいない。うるさい犬も。羊は、いつの間にか自分が柵から出ていることに気づく。そして自分がどこからやって来たのかを思い出そうとする。鬱蒼とした森の中から得体の知れない生き物が目を光らせている。雲はだんだん近づいてくる。ふわふわとした自分の体毛の温もりの中で、羊は思い出そうとしている